家族への手紙を頻繁に書き、俳優の渡辺謙さんが忠道を演じた映画「硫黄島からの手紙」(2006年)で注目された。原山さんも「硫黄島では本を供え、石碑ができることを報告したい」と話す。 直高さんは震災後、福島第一原発事故で収束に向けて働く現地作業員を思い、硫黄島の戦闘の意味をより深く考えるようになった。
栗林忠道 1891~1945年。「矢弾尽き果て散るぞ悲しき」の決別電報で知られる。(2012年3月11日12時40分 デイリー新聞)。 直高さんは同協会に、「人間・栗林忠道と今井武夫を顕彰する会」の会長の井上昭英さんと事務局長の原山さんの参加を依頼し、認められた。 直高さんは「忠道だけでなく、武久への慰霊の気持ちを持って巡拝したい」と心待ちにする。また、同会は約250人から寄付を集め、忠道と今井の石碑を4月に建立する。 昨年は東日本大震災で中止となったが、今回は忠道の顕彰活動を続ける元教諭・原山茂夫さん(83)(長野市)らの同行も実現した
生家に残る栗林忠道中将からの手紙(左)と武久さんの写真を手にする直高さん 太平洋戦争末期に硫黄島(東京都小笠原村)の激戦で総指揮官を務めた陸軍中将・栗林忠道(後に大将)の長野市の生家を継ぐ親族・栗林直高さん(66)が14日、同島で行われる日米合同慰霊追悼・顕彰式に初めて参加する。大本営の方針に反して持久戦に持ち込み、将校の特別待遇も断った。 直高さんは、忠道の兄・芳馬さんの孫,アラド RMT。 当日は同島の陸軍兵団司令部
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